古田・小倉編『韓国学のすべて』(新書館・2002年)ISBN4-403-25058-0
ニテ永島広紀氏知ル。嘱望サレヲル若手ノ研究者ナリ。彼ノ筆ニ斯クアル。

そうした中にも第三世代と呼ぶべき戦後世代の時代が到来する。とりわけ旗田
巍(一九〇八〜一九九四)は、戦後に高等教育を受ける梶村秀樹(一九三五
〜一九八九)とともに戦後の学界にカリスマ的な影響力を及ぼした存在であった。
(略)
彼らは端的に「マルキスト」であり、そのことに誇りを持った。またそれに熱い
シンパシーを持った者たちの集合体がある時期までの「朝鮮史研究会」である。
朝鮮史の科学的研究」を綱領に謳うこの学会組織は、戦前の「朝鮮史の不在」
の研究を厳しく批判しつつ、停滞史観の克服を目指した。その一方、彼ら自身は
「韓国」体験が無いか、あるいは希薄であった。むしろ積極的に新興の韓国を
忌避したとも思える。逆にこのことは朝鮮半島を身でもって感じる機会を減じた
のであり、その分の間隙を埋めることとなる朴慶植(一九二二〜一九九八)ら
在日朝鮮人研究者の存在も戦後ならではの特徴的な光景である。(改行)
加えて、その次の第四世代は第二世代に師事しつつ、先輩格である第三世代の
強い影響を受けている。現在は各大学において最も脂の乗りきった教授クラス
である。前の世代それぞれに対して等身大の尊敬とともに、いささかの懐疑も
あるように見受けられるのは筆者の僻目であろうか。ともかく多少の逡巡を
抱きつつも「軍事独裁」下の韓国への留学を行った世代であることは特筆できる。
とすると若手の助教授・講師クラスは第五世代ということになろうか。戦後に
おける研究のあり方をともすれば強引に相対化し、あるいは批判的に捉えることも
辞さない傾向が見られ、戦前の成果も貪欲に吸収することにためらいは薄い。
大学の正規コースとして朝鮮史を学ぶことができた、おそらく筆者も属する
この「飽食」世代の評価は来たるべき世代に任せざるをえない。
(p.139。「日本人による韓国(朝鮮)史研究」)

我、noharraサンノblogノcomment欄ニテ生半可ナル事ヲ記セルガ、上引用ハ
我ノモドカシク思フトコロノ機微ヲ流石ニ見事ニ摘出サレタルモノナリ。トイフ
ヨリモ、実際ノ研究者ハ其ノ思ヒニ如実ニ苦シムトコロアラント我モ推察ス。
(特ニ梶村秀樹サンノ存在、御仕事ノ価値ハ我ノヤウナル素人ニモ余リニ重キ
モノアリ、「彼等良心ヘノ背信」ノ不安ニ絶エズ苛マレルトコロアリ)。
我ノヤウナル卑賤ノモノト研究者ヲ混同スルツモリハナケレド(同一化スル
ツモリハナケレド)、永島サンラ、朝鮮総督府ノ行政組織、官僚制度、ソレト
「内地」内務省トノ関連ノ探究作業ニ既ニ着手サレヲル様子ナリ。其ノ志ノ成就
セラレンコトヲ素直ニ祈ル。