神様との距離15m

熊野三山の世界遺産登録におけるイヴェントがあって(9/19)、「森羅万象」と銘打たれた
もの。本宮の旧大社、大斎原でおこなわれるという。あの神様が生出演するという。
一応応募してみるかということでwebで出していたら当選した。しかし実際は当選も何もない。
行けば聴けたわけだから(人員チェックなんてない、大らかな、素朴ないいものだった)。
これは私の身勝手な理由だが、紀州はましてや熊野は遠いと思っていた(神戸郊外から)。
物心がついてから和歌山以南に出かけたことがない。失礼な話だ。これはつまり次のnegative
feedback、loopがある。「不案内である、遠い→行きたくない→行っていないから更に遠く
感じ不案内のままである→さらに行きたくない」。これをどこかで撤廃しないといけないん
だけど、そういう気が重たいままの初めてのJR紀勢線で特急くろしお号に乗りでかけてきた。


さてどうまとめたものか。私はとことん中上健次の「いい読者」じゃねえなと思った。いい
読者なら新宮に一泊して史蹟を拝見するだろうに。時間的に無理なのに一泊どころか日帰りを
期待していた私。臨時のバスが出て本宮で野宿という最悪のことは避けられたのだが(宿を
取れなかった。というより取らなかった)、新宮に戻ればいいものを田辺に行っちゃった
(田辺に着いたらとうの前に終電は出ていた。結局田辺の安宿に泊る)。だから、行きに
那智瀧を拝見して新宮駅前から本宮行きのバスに乗ったくらいが(すでに本宮のイヴェントに
遅刻気味だったから、そこは急いでスルーするのはやむをえない)今回の私の新宮体験であって、
国道42号線からの景観のみである。あーあ。勿体無かったかなあ。なんで避けたのかな。
田辺で一泊したあとは本宮や新宮に戻る気力はなかった。下手に「長居」して大阪以北に
帰る気力がなくなるのも困る。


行きしなの特急のなかで中上の『紀州』(角川文庫)と保田与重郎の『佐藤春夫』(弘文堂
教養文庫・1940年)をいい加減に読み直していた。中上は紀州・熊野を「闇の国家」であると
いう。たしかに日暮れのなか新宮から本宮にむかうとき、トンネルを越えると熊野川の山峡が
あり、その道路をバスで山を踏み分け踏み分け。私は母の郷里が但馬なので山深いところには
馴染んでいるつもりなのだが、そんな水準ではないように思える。新宮から本宮までたかが
40km?ほどなのに。そういうところは「闇」を表徴するかもしれぬ。山々が道路という秩序を
圧倒する。道がうねりうねって中上のいう「ここは何処」状態になり、思考がぶれてくる。
しかし海岸近くは圧倒的な陽の強い光がある。全体的に明るく柔らかい。潮風に寂びたもの
さえ柔和である(海と山とが直結しており、全体的に田畑に乏しいことは理解できた)。
中上が「闇」だというのはむしろそちらの側か?。明るく見えるなかのものなんだろうか。


こういう迂闊さを無防備に曝すバカの私。バカだから強い。田辺に一泊したぐらいで語るなっ
つうのというツッコミを承わり。しかし熊野が思うよりも物深いこと(三山ということで還流が
あり、中心がないことなど)などは分かった。次だ、次回だ。そういう機会があるならば。
できれば車で行きたいな(今回はやめた)。夏に古道を歩く気力は更になかった。


写真はやすもんのデヂカメのピンぼけの映像。でもフラッシュ焚けないから(というより撮影は
禁止されていたんだが)。松明が焚かれていてそこに細野さんとか浜口茂外也さんらがいるん
だけど、分かんねえな。


喪中なのに大斎原の鳥居をくぐったことについてはこれだけは赦して欲しいな。