○谷口ふみ奈さんのパンソリ論(「青丘」1995年春季号。no.21)に
ノランモクについての言及がある。
パンソリの基本調は谷口さんによると、羽調(丹田からだす声)、界面調
(こぶしなど嗚咽的な表現)、平調(前二者の中間。主調)の三つがある。
流派の東西便制とは、
東便制(宋興禄)・全羅道東部―羽調を主唱
西便制(朴裕全)・全羅道西部―界面調を主唱
そして西便制は東便制の後に発達したものであり、派生的といえるか。
前者は両班に好まれた正統派であり、後者は民衆の嗜好を反映している。
ただ界面調を強調しすぎると、やや通俗的な安易なものとなると当時の
人間は把握していた。
界面調を俗受けするかたちに緩めることをノランモクというらしい。
谷口さんの定義では「界面調が安易に鑑賞的に発声されるソリ」という
ことである。
ところでだが、素人考えなのだが、二胡などにもそれがいえるのではなかろうか。
二胡のCDでこれだっというものに、なかなか出会えない。訒小平時代以降はそう
なのだろうか(などとそれこそ安易にいうのだが)。どうもノランモク的である。
安易に感傷的に音を響かす(散らす)ものばかりが耳について、力強い、
本来の二胡の羽調的なもの、アタックを感じさせるそれになかなか出会えない。
単に出会いの問題にすぎないかもしれないが*1

http://homepage3.nifty.com/~seiichi/silent/index2006.htm
聾者に焦燥感などを感じさせないような、聴者の音についての表現はどんな
ものだろうか。

○欧州の白人のブルース私淑って、ほんとうはよく分からない。
ナルシスティックなものを感じるんだけど。しかも誤解の産物のように
思える。しかしその誤解から、ブリティッシュ・ロックという新しい能産的な
肯定的なコンセプトが出てきたのではないか。しかし謎を感じるのだが。
(比較するのはおかしいかもしれないが)個人的にはやはりストーンズよりも、
ツェッペリンのほうが学ぶべきところ、共感するところは多い。ストーンズ
ついては部分的だが、ツェッペリンはもっと広い示唆力を持っている。
(ところで、まだ見つからねえ。「12×5」でも「After the Math」でもなかった)。

*1:10/19に追記:NHK-総合TVで視聴したのだが、チンゲルトさんというモンゴル人だろうか、かれの馬頭琴はややアタックを感じさせた記憶があるのだが、録音しそこねたので、ちょっと分からない。