森繁久弥の21世紀の孫たちへ

森繁久弥の21世紀の孫たちへ


森繁さんの朗読としては、昔話というのは、物足りないかもしれない。
この人のとくに地の文ではなく会話の声音づくりというときに、
複数の方言のアクセントやイントネーションを森繁流にappropriate
していると私は思っている。あの独特の語りはそこから醸し出されるのでは
なかろうか。
ところで、昔話って、どこか、イデオロギー臭はする。民間口承のひとつ
なのだが。モノガタリにも、どこかで、エクリールの痕跡が介在されて
いることは、たとえば、落語元ネタ研究の(故)中込重明氏の仕事などからも
分かる。昔話のネタ元の研究もあるのだろうね。私が知らないだけで。
岡田英弘氏も、古事記よりも日本書紀のほうが先行していることを書いて
おられたが、柳田國男の『妹(イモ)の力』での稗田阿礼→小野一族論に
おいて、それはどう処理されていたっけな。柳田の『日本の昔話』は各地域
からの採集を編集しているもの。
(「すべらない話」にしろ、体験をもとに、構成を編集し、演出を考え、
技巧が凝らされているのであって、どこかで書いているのであって、
ある種類の創作であるといえる。)
(備考:中上健次の「キンジニヤニヤの鼠の話」)。