11/1-2に奈良旅行をしてきたのだが、春日大社に参詣したとき
午前9時から、祝詞があげられていたのだが、春日大社興福寺
もともと神仏混淆的に同体であり、その祝詞は声明であった。
これがすばらしく、ふと(俗だが)、イスラエル的なものも感じる。
ライヒの「テヒリーム」的な。

Tehillim

Tehillim


いいものを聴かせてもらった。録音したかったくらいで。
小岸昭の旅記(岩波新書)のルリア研究者の「日本の神道という
すぐれた思考メカニズム」という評言も想起する。
ついでにいえば、春日大社は回廊というのか、斜面に循環する舞台装置に
なっていて、アミューズメントとして優れていて、日本の神社で私の
訪問したなかで、3本のひとつに入ると思ったほどの、優れた神社だった。
神官の本格的だったし。
そういう「やばい」ことを思考したくおもう。中上健次のように。