務台理作ら『生命とは何か』
ここでの田宮博さんのいう「解析生物学」と「形相生物学」との二対は、分子
生物学と形態生物学との二対のこと。形態生物学を、分類学・「枚挙の生物学」
柴谷篤弘)と言い換えてもよい。どちらも必要である(しかし分子生物学
一次的には必要である)ということは、(この座談でも)了解されている。
梅棹忠夫さんと日高敏隆さんとの対談で、梅棹さんは柴谷さんを「蝶の分類の
大家」として「かれは分類の大事さを分かっていて、あえて、形態生物学を
枚挙の生物学と呼んでいる」というようなことを喋っていた。結局、方法と
しては、構成を優先するか、しかし全体の優位を見ねばならぬという、機械論と
有機体論との区分がここでも生きていることになる。勿論、この四個の秀逸な
頭脳がたかだかそれの確認に終わるということはなく、この区分を超えるものを
示唆しているはずであり、そこがこの書物の読みどころではあるのだが。