村上一郎さん『振りさけ見れば』の衝撃的な記述とは、かれが、近衛師団襲撃
事件や厚木の小薗大佐の決起などと違うかたちにおいて、同様の計画を建てて
いたという告白をしていることである。かれは海軍の主計大尉だった。ある
程度、物動を管理しえる権限をもっていた。結局は、それは上策・中策・下策
ともに実現不可能ということで、勇断でもって、廃棄したのだが。このグループは
陸海軍横断した若手士官によるものであったようだ。かれはあくまでも岡田啓介
吉田茂などの講和案に反対していたのである。かれの様々な断言(文学者として
の)の背景にはその経験がある。(小薗がばらまいたビラ用の紙はもともとは
村上らが所有していたものであるという記述もある。間接的に伝わったようだ。
意図的に渡したのではない)。


杉村元侍医のおはなし。最初から読むべきなのだが。あのおはなしが最後にもって
来られている重みが伝わらない。先帝は独り言をいう癖があった(はっきり
いいたいのだが、なかば病理に近い。やむをえぬことである)。しかも囁く程度の
ようなものではなく、はっきり、大きく、である。たまたま杉村さんはそれを
聴いてしまったのだ。「自分によくしてくれるからといって、その人を誠実な人
であるとか、あるいは頼むに足る人だと思うのは、間違いなのだろうか」と。
ある意味、胸をえぐる御言葉であるが。痛々しくも思う。別にこれで昭和天皇
失政を免責するというのではない(結果責任としての)。しかし単なる外在的な、
代弁的な批判のしかたでは、昭和天皇の苦悩や苦労というものには、まったく
届かぬ批判だと私は思う。


1930年代の陸軍内の覇権闘争についての管見のなかでの参考文献は次。
山本勝之助(石原莞爾序文)『日本を亡ぼしたもの』(彰考書院・1949年)
これは橋川文三氏解説つきの復刻版が出ているはず。
大宅壮一大宅壮一エッセンス1・怪物と黒幕』の矢次一夫論(講談社)
矢次一夫『東条英機とその時代』(三天書房)
上法快男『陸軍省軍務局史(下)』(芙蓉書房)
有末精三『政治と軍事と人事』(芙蓉書房)
片倉衷『片倉参謀の証言 叛乱と鎮圧』(芙蓉書房)
赤松克麿『日本社会運動史』(岩波新書
先に言及した、田中隆吉『日本軍閥暗闘史』(中公文庫?)
他。
私は肝腎な武藤章についてはまだ。


ところで、別宮暖朗さんは、サイトでも兵頭共著でもそうだが、石原莞爾への
点数が異常に辛い。あまり評価されていない。ここが通史での評価と著しく
異なる。内在的な検討なのかどうかは分からない。別宮さんは、おそらく、
昭和天皇の選択と決断を内在的に検討するということを、ひとつの絶対方針と
されていると思う。そこからみて石原については不信をもつということなのかも
しれない。先に書いたこととも関わるが、昭和天皇の専門的知識(軍事、国際法、
帝王学、内政)を視野に入れずに昭和天皇を批判するのでは、それは外在的な
ものとなるだろうという、とりあえずそれを指摘しておきたい。(かれはその上に
生物学者であり、そのような自然観・世界観をもっておられるのである)。