増田氏という音楽学者がいて、正統的な教育を受けているそうだが、しかし、
なぜこうも、自己愛だとかナルシシズムを嫌うんだろうね、そこまで嫌うという
ところが余程、なんらかのトラウマをもってんのかと逆に疑ってしまう。
自己否定というのは隠れてするべきことであって、それを大っぴらにすることが
嫌らしいものとなる。大体、自分の自己否定が他人の自己否定につながると
思うところが下品だよねえ。こういうのはありがちなんだが。
たしかに「いわくいいがたいなにか」を分節化することは大事だと思うが、
しかしまづ「いわくいいがたいなにかがある」と判断することもやはり重要
であって、両方やるしかない。まあ彼の師匠からして概念の重要性を強調して
いるらしく、カントの第三批判なんかと絡むようだけど、しかし判断力それ自体が
落ちている今日において、過剰に潔癖にナルシシズム・特殊性を排除することが
やはり、自意識系の人なんじゃないのと思われるところがある。
ロマン主義」だとか「否定神学」だとか、こういうレッテルを多用することも
よしてほしいね。マイナスのイメージで。かつての「トロッキズム」とかいう
のと、あまり変わんない。
美学について思うところは、まづ、去勢を完遂してくれよ、ということ。
官能化が流行しすぎている。また美学を倫理学に貶める傾向もあるようだ。
美学を可能にしている遠近法を疑うということも、ほどほどにしないと、
単なる急進主義では、逆にひどいことがおこる。
とにかく、増田氏にかぎらず、啓蒙は、じわじわしてほしい。
もともと市場(投票)がそういうものを選り分けしていたんだろうが、いまの
市場はあまり信用できないからねえ。そこが嫌なんだよなあ。
時代が変わっちゃったのかね、やはり。
釈迦に説法なのか、単なる無駄話だが、そういうことは常々、おもう。