感性=受動性こそ、materialism(質料主義)にかかはる。受動性のなかに、
不自由があるといふよりも、受動性そのものが自由にならない。悟性=能動性
は暴走することがある。受動性の不自由性に現実的なものがある。しかし
それは反映なのか。勿論、受動性も暴走することがある。アメリカのサイケ
運動だとか?。ほとんど皆、薬中の廃人になっちゃったらしいから、
受動性のなかに秘蹟をもとめようとしても、結局、無根拠に終はるのか。
(余談だが、藤田博史先生の書物を繙いていたら、荒廃はVerblodungで
専門用語なんだな)。ところで、感性と悟性とを繋ぐものが構想力だったっけ。
これは捩れてるんだな?。