○身の程知らずに社会を俯瞰的に語って、とか。御尤も。ただし、あえて語らんというのは
偉いとは思うが、全く語る用意すらないというのでは、子供にもしなにか尋ねられて全く
答えられんということになり、私自身は嫌だ。(一見気の利いた言い回しを、さらに、もう
一度反転させて検証するという、たとえば、花田清輝の態度に私は、やはり共感せざるを
えない。それは逆説・形式論理というよりも、懐疑ではないか)。
○GesellschaftとGemeinschaftとではそもそも定義がちがうのだから、前者が後者を
擬制することなんて語義矛盾ではないかというツッコミはたしかに尤もだ。
○(ある対象を)啓蒙するということが間違いだけど。うーん。(しかしその対象が)
流通観念をまったく検証ぬきに無防備に使用していることとかに、叱責をしたくなる。
→suousan君。(これが私の電波・誤爆ならば謝るが。ある文章を引用していたとしても
その動機は誰にも決定できないからね)。
ホモソーシャルの話。前近代のそれと近代のそれとの区分。そういう集団・社交体の
なかの個の、僭越にも内面を描くときに、どういう態度が要請せられるか。