○なにを言いたいのか、わからんな。しばらく自粛したほうがいいかもしれん。ちょっと不安定
なんちゃうか、われ(自分のこと)。
○とくに、反共主義者だ、こいつ、という言質をいろんな人に与えうるな。うーん。共産党
ついて述べたところはちょっと弱いな。
○suousanの引用している吉本の転向論は、つまり、佐野・鍋山だろうが、宮本・志賀だろうが、
大衆から分離していることに変わりは無い、というものだから、私のコメントはちょっと
的外れではある。私自身は転向者(転向一般ではなく、この時期の転向者)を積極的に評価
するから、中野を持ち上げて終わりということにもあまり関心がない。もともと赤松克麿や
麻生久に私は興味をもっていた。
○関心はないんだけど、大西巨人の「転向」。東堂太郎が従軍に応じたのは、革命のためには
軍(その内部からの命令体系の「崩壊」)が必要であるとの考えである。だからこそ軍の内部の
実定法主義、遵法主義を支持するのであって、東堂は単純には反軍とはいえない。軍があたかも
無法地帯であるかのように描かれることには大西は反対だった。『戦争と性と革命』(三省堂
・1969年)所収の「軍隊内階級対立の問題」が参考になるのだが、ただ私は軍がただちに階級的
存在であるかのように規定するのには違和感がある。ただし大西はまさしくそういう違和感を批判
しているのだが。村上一郎のいうように、軍は政権を守らずnationを守る(『浪曼者の魂魄』)。
あくまでも政権・政党の党争には中立であることがまづ絶対である。だから単純に特定の階級への
奉仕者であるかのように言い立てることは正しくない。誤解を与える。スガ秀実が、大西に影響を
受けた小西誠や渡辺修孝について言及していた。その小西は中核派から、軍を重視しすぎていると
批判されていた。大西と宮顕との「論争」は山村工作隊の時代、共産党分裂時代である。
単純に同一視するつもりはないが、比較はできる(政治部門の党官僚との論争として)。いま、
大西をもちあげている人には、そこまで踏み込んでいるとの自覚があるのかどうか。
(大西について述べたところは過去の規定についての話であり、また私が現在、軍の政治運動を
期待しているなどということを示しているのでは当然にない)。