平山洋福沢諭吉の真実』(文春新書・2004年8月)。ISBN4-16-660394-9
推理小説風。福沢「殺し」の犯人が石河幹明となる。状況証拠は固めているが、どうなんでしょう。
まだまだ仮説の域を出ていないような感をもったが。第五章の「東亜論」をめぐる論考も面白かった。
「東亜論」という特に重要でない(と平山氏の判断措定する)文章がいかに有名になっていくか、
そこに端的に誤読があるらしいのだが、そこで言及されている、丸山真男(福沢を自由主義ブルジョワの
健全なる思考をみる)と服部之総遠山茂樹(福沢を絶対主義の擁護者として見、かつ強硬な国権
主義者としてみる)との対立軸が、今、平山氏と安川寿之輔氏との福沢観をめぐる「論争」として
反復・再生産されている観があるということ、そこの反省性がはたしてどうだったかという懸念も
なくもない。つまり福沢の内在性についての検討作業は継続されうる。
ただたしかに福沢全集所収の「時事新報」掲載社説にどこまで福沢の意志が入っているかという
先の検討作業の基礎となるところについての、問題意識が重要なもので。それについて一定の目途を
たてた労が称揚される。


磯田道史『武士の家計簿』(新潮新書・2003年4月)。ISBN4-10-610005-3
専門の細かいところと、日本史全体についての視野の自覚と、双方への配慮があって、
大いにためになった。前田金沢藩の猪山家という御算用者(会計・計理)の家系に残された
四十年近くの家計簿から幕末の武家の経済行動を推測するというもの。とくに猪山直之・
成之親子が出世して、成之は維新前後に、大村益次郎に見初められて、維新政府に出仕すること
になり、結果、海軍会計を任されることになる。維新後も成功した家柄なんだな。
化政期以降、日本全体がかなり変化してしまっているので、化政期以前についても知りたい
ところではある。だが、こういう家計簿が残されていること自体が稀なことであるらしいので、
江戸中期以前についての各戸の消費行動の再現については難しいんだろうか。
余談というのか、私の事情であるが、中世については遠いがゆえに我々はロマンティックにいろいろ
想像や表象を働かすところはあるのだが、江戸期については「近い」(といっても遠いはずなのだが)
がゆえに、気分が萎えるところがあり、しかしその「萎え」に陥穽がある。