http://d.hatena.ne.jp/takeship/20041218

●;村上一郎氏に「編集とは何か」と断言めいたことを聞かされた。その強い記憶が
残っている。氏が紀伊國屋書店出版部の嘱託か何かを勤めていた頃だ。出版部は
市ヶ谷と四谷の線路沿いにあった。しもた屋を改造した安普請の小さなビルの一室で
氏は手持ちぶさただったのか、「ちょっと外へ行こう」と誘われた。氏が土手の草叢に
いきなり腰を下ろしたので、あわてて横に並んだ。そこは氏の馴染んだ<居場所>のよう
だった。水の流れを感じさせない澱んだ内壕を見やりながらポツリと言った。
「編集とは、文字通り<情報>を集めて纏めることだよ」。
(改行は引用者による)。

生きた証言・・・。
私のような馬の骨が村上先生に言及することがそもそも僭越なのだが・・・。


師のもとに何年も学ぶ間に、先生に何回会ったか、何時間話をしたか、いっしょに
散歩をしたか、酒を呑んだか、等々はそれほどの問題ではない。だから極言すれば
先生は死んでいて、もう会えなくても弟子は弟子たり得るのである。平田篤胤歿後
の門人というようなことも十分あり得たわけである。
村上一郎「塾の精神」。『浪曼者の魂魄』=冬樹社・1969→1971年。p.246-247。)


とは書かれてはいるが、しかし、私にとっての「師」とは所詮は私のファンタスムで
はある。謦咳に接した人の回想がどれほど貴重であることか。