村上一郎さんが「日本暴力考」(『浪曼者の魂魄』=p.274)で

大楠公の湊川の戦いは、主力軍たる新田義貞がみすみす戦力を壊滅
することなく、自らを温存して都へ帰り、宮方(みやがた)の力を
保守するように仕組んだ犠牲戦である。この兵力配備、戦闘経過に
ついては、宇垣大将の部下として知られた林弥三吉中将(大阪師団長)が、
実際に現地ならびに図上で演習した成果が残っており、その秀抜さは
まったく感嘆の他にない。しかり而して、これは、戦いに勝つことしか
目的としない西洋の「戦理」を超えている。したがって、まことに
日本的な言い方だが、「義戦」というほかにないのである。

と書いている、この林弥三吉氏は、偕行社の偕行叢書11の『日本戦史の研究』
(1937→1940年)に林部與吉氏(陸軍工兵中佐)とともに著者となっている。
他にも楠公研究書を出されているらしい。ドイツ留学滞在経験者。