鄭鈞や臧天朔について知れたのは、亡くなったテレサ・テン
(訒麗君)へのトリビュート・アルバムだった。元町の古レコード屋で
CDで入手。いつだったか。1990年代半ばだったか?
1997年に香港にいったら、鄭鈞の『第三只眼』がバーンと売り出されて
いた。
なぜ訒なのか。おそらく彼女が天安門「事件」について抗議していた
からだろう。彼女の父は外省人で国民党の軍人らしいが、しかし
そういう意識で天安門事件を批判したわけではなかろう。
臧天朔は「一九8九」という楽隊(グループ)で参加している。
明確に1989を意識しているわけだろう*1
当時はやはり揺滾(ロック)と政治性とが結びついていたのだろう。
尤もその「政治性」とは、どういう政治なのか、後進的なそれなのか、
「生」のそれなのか、「歴史段階」において、評価が違ってくる
ものなのだが。日本でもフォーク・ミュージックの黎明は政治的
だったのだろうが、今から見て、それが本当に「サウンドの政治性」の
問題において対象化されうるのか分からない。尤も当時から今をみると
「なにがサウンドの政治性じゃ、ちゃんちゃらおかしい」ということにも
なる。しかしこの二者択一は不毛だという気はするのだが・・・。
これはビーチボーイズについての評価にも関係してくるのだろう。
前に書いたことがある。


昨日に、小谷野さんが紹介していた、水谷尚子さんの文春新書を入手
した。岡田英弘氏の議論と並行して読みたいところ*2
しかしこうした「中国批判」が日本の利権や自意識を代弁していると
解釈されるところが困ったところなのだが。

*1:3/31に追記。だと思ったが、http://www.yaogun.com/artist/zangtianshuo/1989.htmによれば、全然、天安門「事件」と関係ないらしい。ほんとかな?

*2:満州人の支配のほうが分離独立形式でまだマシなのではないのか。「漢人」という概念が同化的な支配を要求するので、露骨に植民地支配をしながらその罪を自覚化されにくい詐術性をもっているのではないのか。またその「漢人」概念は日本の幕末から明治の復古主義的・神話主義的ナショナリズムの影響を受けているのではないのか。