ある人から間が悪い、リズムが悪いと言われたが、どうも
自己批判(自己分析)のない人からの勧告であり、そりゃ
宴会手拍子のリズムの人(ポリリズムの欠如)を苛立たせるのは、
無理ないかなとも思う。
リズムは批評である(小野十三郎)だとか、リズムこそが肝要
である(どういう文脈での発言だろうか、小説だろうか?=
志賀直哉)だとか、最近では複雑系でもリズムや同調に注目
しているんだけど(シンクロ論)、ジャズ・ダダイズムのリズムが
日本の土壌に定着するのは遠いんだろうかね。
テンポで思い出すのは、いつのバイロイトだったか、バレンボイム
指揮のトリスタンだったか、打鞭するように、猛烈にモチーフ部分の
テンポをあげてゆくところがあって、もしかするとオーケストラの
前と後ろとで音響隔差の計算がずれていた(後ろ側がついていけて
いない)ところもあったかもしれないが、しかしそれは印象的
だった。良かった。
文体においても、テンポとリズムとが、またメロディも、
修正できぬほどに、「狂う」ことを私は目指す。金時鐘さんからの、
モンクからの、カフカからの、教訓である。