森嶋通夫『自分流に考える(新・新軍備計画論)』(文藝春秋・1981年)より
(p.108-116)

私もまた、軍をもつならば文民統制であるべきだと考えるが、同時に他方で、
文民統制は日本では非常に難事業であると考えている。

日本で文民統制がしにくいのは次のような事情による。まず第一に、軍事に
関しては軍人は専門家であり、市民や政治家は素人であるから、文民統制
すれば専門家が素人に服従させられることになる。このように文民統制の思想の
背後には素人優先主義があるが、事実、文民統制が理想的な形で行なわれている
アングロサクソン諸国、とくにイギリスは素人優先主義の国である。イギリス
では軍人ばかりでなく、その他の専門家も素人に牛耳られているから、文民
統制は決して奇異でない。(略)このようにイギリスでは、行政でも、司法でも、
立法でも、素人優位の態勢(民主主義)がとられているが、日本では立法だけが、
そうであるにすぎない。(以下略)

イギリスが素人主義をとっているのは、常識を尊ぶと同時に、つねに一般市民の
声を、社会的な意志決定に反映させようとしているからだが、このような素人主義
の下では、経済や軍備の効率はよくなく、経済成長は緩慢になる。(私は『
イギリスと日本』とその『続』で、二大政党制と経済成長の矛盾を「民主主義の
費用」という概念をつかって説明した。)(改行)これに反し、日本が専門家
主義であるのは効率を重んじるからである。

このような森嶋氏のイギリス素人主義に対して論争の対手だった福田恒存
それを全否定する文章を出した。森嶋さんはその論点を本歌取りして、次のように
返した。よって以下はパロディでもある(引用するにあたって、傍点を省く)。

「イギリスでは『不思議の国のアリス』の著者を引合いに出すまでもなく、
大勢の人が専門以外の仕事で有名になっている。特にオックスフォードや
ケンブリッジはそういう趣味人の宝庫だ。たとえばラムゼイにとっては経済学は
遊び以外のなにものでもないが、彼の経済学の仕事は、彼がもし長生きして
おれば、哲学者ラムゼイの地位や名声に大いにプラスしていた筈である。しかし
もっと大切なことは、その逆が成立しないということである。すなわち
イギリスでは、たとえば私が馬鹿な軍備不要論を『ガーディアン』に書いて
不評判になっても、私の経済学者としての地位に疵がつくことはない。だからこそ
イギリスの学者は大胆に遊べるのであり、また大胆に遊ぶからこそ、遊びからも
立派な成果が生み出されるのである。」

イギリスでは玄人(将軍、大学教授、官僚その他)は素人(人民および人民が
選んだ内閣)にいろいろ専門的アドバイスを与えるが、彼らはあくまでも
サーバントであり、素人が主人公として最後の決を与えるのである。

おそらく英米経験論には専門家の可誤謬性についての危惧が織り込まれていると
思う。ところが、
http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/2004_04.html
の人は、一貫して、素人はため口きくなという主義のようだ。私はこういう人は
一般的に豎子として見られると思っている。「高橋源一郎氏の業績については
よく知らない」のに高橋源一郎について(論駁の内容以上に)語らざるをえない
構造については彼の主旨に反して認めた方がよい。
(勿論、大衆の可誤謬性についてはどうかというツッコミはあるだろうが。
結局、専門家が自身の言葉を大衆に届けさせるように犠牲になるしかない。
それが専門家の本分であり、名誉である)。