一、人格の崩壊と増しゆく弱さとに抗しての私の努力。私は新しい中心を
求めた。二、この努力の不可能が認識された。三、そこで私は進んで解体の道を
歩んだ、このことのうちに私は個人にとつての新しい力の源泉を見出した。
我々は破壊者でなければならない。――私は個人がそのうちにおいて嘗てに
なく自己を完成し得る解体の状態が一般的な生存の模像であり、個々の場合で
あることを認識した。」この最後の文章は、ニーチェが自己の問題として体験
したニヒリズムが単に個人的のものでなくて世界史的なものであること、彼が
「ヨーロッパ的ニヒリズム」と名附けたものであることを現はしてゐる。ニーチェ
はニヒリズムを歴史哲学的に位置附けた。そして初めの文章は、ニヒリズムが
ほかならぬ人格の分解の体験に由来することを示してゐる。もしさうであると
すれば、「虚無」は外に見られる渾沌といふやうなものでなく、自己の奥底に
おいて顕はになるものでなければならない。言ひ換へると、彼のニヒリズムは
今日「不安」といはれるものを現はし、かかる者として彼は現代思想に深く
交渉してゐる。
  

  三木清ニーチェと現代思想」。『人生と教養』だったか?。p.197-198。
  引用するにあたり、繁体漢字を日式簡体字にした。

6/26に追加。『学問と人生』(中央公論社・1942年)だった。
しかしこういう引用はいうまでもなくなにかを暗示しているわけではない。