統制経済批判

http://www.makuhari.or.jp/urbanist/1994/94_081.html
http://www.makuhari.or.jp/urbanist/1994/94_082.html
http://www.makuhari.or.jp/urbanist/1994/94_083.html
http://www.makuhari.or.jp/urbanist/1994/94_084.html
牧原出『内閣政治と「大蔵省支配」』にも

これらから理解できるように、注意すべきは、戦中期に物動計画に従事した経験の
有無は、統制経済か自由経済かという政策志向の対立よりも、マクロ経済の視野と
業界保護の視野との対立として現れることである。物動計画の業務体験は、それが
戦争末期に近づけば近づくほど、むしろ戦後において統制経済への反発となって
現れる傾向にある。たとえば、福田通産相に事務次官として起用された今井善衛
は、自由経済体制への信念についてこう語る。
「私は省内で物動屋といわれておったんで、戦前、戦中も物動を担当したし、
戦後は経済企画庁で物資統制の元締めみたいなことをやっていましたが、
物調法(臨時物資需給調整法)が失効したのが昭和二七年四月ですが、――
あのころの統制経済なるものは、守ろうとしても守りきれないし、弊害ばかりで
プラスの面がなくなっちゃった。そんなこともあり、だんだん統制ぎらいになった
わけです」
(p.53)

別宮さんも日本の高度成長は統制経済をやめたから起こりえたということを
繰り返し述べられていた。
http://ww1.m78.com/past/basic.html
の最近の過去ログに集中的に述べられていた。
ただ若干擁護をすると、
実際、あのころの文献を読んでみると、所有(私法)の制限は一時的なものでは
ないと誰もが合唱をしていること(強制されたものというわけでもないだろう)。
本位田祥男の統制経済への帰趨の理論もかなり説得力はある(かれの場合は、
イタリア的なものであって、ロシア型ではない)。また山之内靖さんなどの史観
では、要するに、システム社会になったということを強調されている。
ただ、英米的経験論(懐疑論)が大陸的独断論(欧州型福祉社会?)よりも
優位にあるということが自由主義経済というものの背景にあるのかもしれないが。
(しかしながらここ二十余年の自由主義経済というものは、以前のそれと違う
わけだが、それの代案がなかなか果たされないということにおいて、やはり
なんらかの正嫡性もあるというわけか)。