三島と保田

三島由紀夫の対談集『尚武のこころ』(日本教文社・1970年)に次のように
あった。村上一郎との対談である。

村上 そうすると「万葉」の家持に最高の点を見出す保田さんの『万葉集の精神』
に対してはどうお考えですか。
三島 ぼくは間違っていると思うな。ぼくは家持が最高だとは決して思わない。
家持は『古今集』へつなぐ詩人だと思いますね。
(略)
村上 しかし紅旗征戎わがことにあらずでは、ほんとうに「新古今」の中の、
たとえば式子内親王なんかのいいものがわかりますかね。やはり相当武的なものが
入っているのじゃないですか、以仁王やなんかに連なって。
三島 でしょうが、やっぱりぼくは行動とかいうものに対して、王朝人はただ見て
いただけだと思いますね。(略)
歌の中になんにも出て来なくても、ぼく『新古今集』の精神ってああだと思うの
ですけれども、地獄への言葉の側から入って来た人間と行動の側から入って来た
人間が、「新古今」という一つの歌集を境に出会うところがある。一方では武士
階級が勃興して、武士階級は修羅道を知ってますから、人間は死ぬときにどんな
ふうにして死ぬのか、胸をやられたらどういう叫び声上げるか、死体がどうやって
腐っていくか、よく知っているのです。王朝人はそんなものは見たくもないし、
たとえ見ちまったとしても言語表現できない。だから自分の言葉の財産でもって
詰めて詰めていく。(改行)そうするとぼくはあすこでばったり会っちゃった
ような気がするのです。その会っちゃったところから一種の文学のネクロフィリー
が始る。それがお能なんですね。(略)
どうもおそらく保田さんたちの文学史にはそういうものが出て来ないです。絶対
出て来ないです、ネクロフィラスのものは。あの人お能をほめたこと一度もありま
せんよ、保田さんは。
村上 折口信夫なんかのいう呪い、呪ですな、ああいうものと尚武の精神という
ようなものとはつながりませんかね、文学の上で。
三島 ぼくはつながらないと思いますね。折口さんは決して武というものが
わからなかった人ですね。ですから折口民俗学というものの根本的な欠点は
武の精神がわからない、荒御魂がわからなかったことだと思うのですよ。まだ
柳田さんの方がわかっていたような気がしますね。その代り折口さんはネクロ
フィリーはわかったですよ。『死者の書』じゃないけれども、デカダンスという
ものは非常にわかった人でしょうね。まあしかし日本の近代文学で武のわかった
人というのは森鴎外一人で、あと誰もいないじゃないですか。
村上 与謝野鉄幹はどうですか。
三島 鉄幹はそうですね。しかし詩人でしょう。小説家として鴎外以外だれが
いるでしょうね、武というのを多少ともわかった人。
村上 佐々木信綱もやはり小説家じゃないですね。
(p.185-188)

かなり異論が起こるんじゃないか、私も説得はされない(村上さん自身が
三島の史観を同意しているようには思えない。村上さんは複数、三島追悼の
文章をあらわして、深く悼んでいるけれども、そのなかの文章において「日本刀
はけっして武門の軍事専門家が創り出したものではなく院政の時代の宮廷が
これをデザインしたものなのである、とうなずけるのであった」=「或るひき
うた」と書いていることからして、三島との差異性を見て取れる*1)。九相詩絵巻
いうものからして(鎌倉時代だが)、死体の腐敗に関心がなかったなどとは
いえない*2
飛鳥井雅道さんの『明治大帝』が上梓されたときに、国際日本文化研究センター
「主導」の『創造の世界』1990年(no.74)に飛鳥井さん講演とその後の討論会
では、三島は逆に、「明治以降の公家・皇室の武家化」をそれ以前に転倒しすぎて
いるのではないかと批判されている(飛鳥井氏によると、佐々木信綱は明治天皇
御集のなかの恋歌の発表に強硬に反対した)。
柄谷行人らのやった「近代日本批評の検討」(『季刊思潮』から『批評空間』)の
とくに「昭和初期篇」はなかなか面白いのだが、そこでもこの問題が扱われている。
(私はまだ蓮田善明については未読)。が、焦点はずれている。

*1:『志気と感傷』

*2:http://www.sra.co.jp/people/aoki/Buddhism/Kusoushi/Kusoushi.htmlがあるが、画像は白黒になっている。本当はカラー。