村上一郎「明治維新の精神過程」より。『明治維新の精神過程(増補版)』・春秋社。
p.39-41。

明治維新は革命であると同時に反革命でもあったのだという竹内好の巨視的な把握は、納得
できる。むつかしいのは、維新過程のどこかに一線を引いて、ここまでは革命的であり、
ここから先は反革命であるというようなきめつけ方が、この把握と無縁であるということ
である。例えば、封建割拠がくつがえされた段階は革命的であり、次に近代国家的諸制度
が築かれだした段階はすでに反革命的であるというように、区切ることはできない。また
某党派または勢力が、はじめから反革命的であったのだとか、またこれこれの時点までは
革命を推進し、ここで反革命コースに転落したのだとか決めることも、多くの場合できない
のである。政治的機能主義で割り切るなら、水戸派なぞははじめから革命的でも何でもない
という人も出て来ようし、また水戸派の政治的機能は桜田門事件までだということも
できよう。が、それでは橋本佐内にも吉田松陰にも生きていた水戸派の精神は十分にとり
出せない。一種の政治見取図が引けるだけである。別の立場から、長州尊攘派について、
高杉晋作までは革命的で、伊藤博文井上聞多反革命的であるというのも、ただそれだけ
のきめつけでは無理であろう。では伊藤なら伊藤が、明治以前は革命的で、以後反革命なのか
というと、それも正しいとは考えられない。革命的側面と反革命的側面とは、もっと入り組んで、
容易には分かちがたく一体化しているのではないだろうか。

むろん、歴史が単に偶然や不合理のかさなり合いでないことは、精神の過程についてもいい得る
ことであり、そこに法則も何もないとするなら、歴史に向う態度として許せないことである。
しかも、法則をとり出すのが急務であるならば、一度は(引用者注:「一度は」に傍点)大胆に
歴史を単純化してみなくてはならぬのも、一面の真である。が、その際それが裁断的態度たるを
まぬがれるか否かは、論者に、さらにもう一度(注:「さらにもう一度」に傍点)、その単純化
をもとのカオスに戻してみる含蓄と襟度が、いいかえるなら余裕が保持されているかどうかに
かかっている。でなければ、大胆に見える一度の(注:「一度の」に傍点)単純化は、実は
大胆ではなく粗放であるにすぎず、生きた法則はとり出せずに、自己の硬直した態度をさらすだけ
であろう。

中沢は(引用者注:中沢護人『幕末の思想家』。新一の叔父)、前記のように「一度は」と
ことわってこの仮説(引用者注:左内の開明思想にかかわる)を立てているので、その条件の
もとに聴くべきところを汲み取らねばならないのだが、問題はこの仮説が日本の近代化(開明
といってもよい)を当為として立てているところにある。当為をもって裁断するなら、いずれは
命脈尽きる幕府を打倒するために血を流すがものはないし、まして攘夷なぞにとらわれていたのも
愚の骨頂である。しかし、理性を歴史におしつけることはできない。攘夷を切り捨て開国をとると
いっても、歴史の中で両者は分かちがたく結びついていたのであって、この矛盾する二者を内包
しつづけたことによって維新が維新たり得た面はないかどうか。攘夷と開国という対立物の
間の相互滲透なしに、日本人の心の回転はあり得たかどうか。

現在放映中のNHKの『新撰組!』(脚本三谷幸喜)が、こういう認識をもてているかどうかは
、いまだ途中で裁断することは無礼だが、察しにくい。芹沢鴨が天狗党でどういう体験をしたか
という暗示を醸していたところにはちょっと感心したけど(脚本と同時に佐藤浩市の解釈)、
新撰組を主役にしながらも、描出されているものは、新撰組がKGBとSA(突撃隊)のアマルガム
のようなテロ集団(といってはKGBに失礼だが)として一般に理解されてしまう傾向がある
(これは旧来の解釈である。司馬以前の。らしい。私はよく読んでいない)。それはやはり、
三谷さんも、結果を当為として受容しているのではないか。そうなれば新撰組はどうあがいても
反動ということになってしまう。しかし、そうではないはずで、そこを掘り下げることが難しい。
勿論、フィクションだけれど、新撰組の連中と志士派の連中との交友を描いていることは、それを
並行同時としてみていることだから、一方的に貶すことはできないのだが。安易に批判するつもり
はないが、難問に正面からぶつかっているとは、ちょっと察しにくい(近藤の思想がよく
わからないようになってしまっている*1)。これでは鎮魂にはならない。こういう断定をこれから
覆されることを望むんだが。

*1:2005.9/19に追記。のちに近藤の思想は遅ればせながらだが、明確にされる。端的にいえば実力主義ということである。