またもや大風呂敷の話。
「日本ルネッサンス史論」に将棋の話はあるんだっけ。将棋のなかの合理的思考のみならず
(合理的思考というよりも、奇・機などの、からくりの思考か。蓮実重康?。昔の岩波の日本史講座
の蓮実氏担当分にそういう話があったような)、やはり捌きということ。産業資本ではなく商人資本
だろうが、捌きのなかには、資本主義的なものがある。貨幣を退蔵するのではなく、積極的に資本化
する。転売に転売を続けて、別の富にする。捌きの達人は、自他の駒の区別はない*1。マクロ的?なのか、
金は天下の回り物、そういう志向。詰め将棋も捌きの実例である。現在の捌きの達人、久保利明さんは、
ここでの「転売」を「成仏」と言い表されておられたが(先月号のNHK出版の『将棋講座』)*2
現在の将棋が戦国時代から織豊時代に隆盛してきたのも、なんらかの因果があるように思える。
ところで、振り飛車の捌きは捌きなのに、居飛車の捌きはどちらかといえば「強襲」と表現されるのは、
どういうことなんだろう。勿論、理由があると思うんだが。


素描的よもやま話。
象棋の「馬」はチェスのKnightと同様の働きがあるのだが(日本の桂馬は前方二箇所にしか飛べ
ないが、チェスと象棋のそれは四方八方に飛べる)、ちょっと違う点があるようで、進む方向の
頭(腹)に敵味方関係なく駒があれば、そちらには飛べないことになっている。しかしチェスも
日本の将棋の桂馬も、それと関係なく飛べる(進める)ようだ。
象棋の習い始めに一番苦労するのはそこなのだが、しかしそれに慣れれば、逆に日本の桂馬の
ように進行方向に妨害駒がないというのは不思議に思えてくる。つまり日本の将棋の飛び道具に
おいては、桂馬のみ、合駒が効かない。この合いが効かない点が著しく強力である。詰め将棋
でも桂馬はよく使われる。玉前方に蓋をさせて桂馬で頓死させたり、とくに角と桂馬とのコラボ
(角の合を機能させない、あるいは盤の隅において桂馬と馬だけで相手玉を詰ます、など)など。

*1:尤も代々木忠の『色即是空』に「相手の体は自分の体」というAV女優の言葉が引かれている例もあるんだが・・。

*2:ああそうだ、追記する。先ほどのNHK-BS2の「囲碁将棋ジャーナル」で解説出演した久保さんは、昨日の竜王戦の解説において、横歩取りを後手番ならば指してみたいと喋っておられた。興味深い。久保流の8五飛を見てみたい。