要するに、あえて難をいえば、村上一郎先生にも、アドルノ=ホルクハイマーの
啓蒙の弁証法」的な観点は薄いつうか、乏しい面はあるかもね。?。
っていうか、関心がないのかも。戦争の惨禍は近代の理想から必然的に直線的に
たどり着いたものかもしれぬっていう点。戦争を放棄するとは、たしかに保田翁の
いうように、近代の放棄、それをポスト近代と呼んでいいのかどうか。近代の挫折か*1
ナチにかぶれていたと言われている西谷啓治にむしろそれがあるような。
結局、21世紀っていっても、20世紀の自己限定としてあるわけだろうから、私自身は
後ろ向き、ポジティヴ・ノスタルジーで行きたい。


先週の土曜日に日本・ユダヤ文化研究会(神戸)の開放講座があって、恒木健太郎
さんのゾンバルトヴェーバー論争についての講義があったようなのだが、反ユダヤ
主義をめぐるものなのだろうが、結局、聴きに行かず。残念。

*1:大抵の戦後人はその近代の挫折を近代の不足としてすり替えたのだが。