○前回書き忘れていたが、北京のまともなCD屋で、相声の
郭徳綱のCD集をもとめていた。数多くの演者のそれがあったから
誰を求めるべきか知識のない私は迷った。
聴いてみると、非常に美しい普通話(?)である。これほどの
発音の美しさ、格式は久しく聴いてないほどの。
帰国後、天津滞在中に知り合った天津女学生(メルアドを交換した)に
この郭徳綱について尋ねてみると、なんと、知っていた。まだ若い
女学生なのに知っているのか。同郷人だといっていた。郭さんも
天津人らしい。さらにこの郭さんファンの自称として、「綱絲」と
いうらしい。
ネットで調べると、1973年生まれ。ちっさいときからそういう伝統
芸能を酷愛(偏愛)して、なんと八歳でその道に身を投じた。
高慶海さんや常宝豊さんに師事した。

http://shopping.jchere.com/list-q-%E9%83%AD%E5%BE%B7%E7%BA%B2-sq-2-transtype-C2C-sort-0-rank--page-3.htm
に日本での販売ページがある。


○女朋友からまとめてキリンジを借りる。



バスチアン・コントラーリ

バスチアン・コントラーリ


Ethiopiques 22: More Vintage

Ethiopiques 22: More Vintage


ゴンチチの快適音楽で湯浅さんが紹介していたもの。
前者、がらっぱち。南フランスって、ある種、イスラーム圏といっても
いいのかしら。
後者、エチオピアと日本における「民謡」の酷似性。偶然だろうが。


○(500円DVD-Rだが)「陽のあたる場所」(なぜリズがモンゴメリ
・クリフトにあそこまで惚れるのか全く描かれていないところが致命的
なのだが、しかし貧しい家庭出自の影のある青年が光あふれる上流社会を
妬み憧れるところはよく痛々しく描かれている)の音楽は、F.Waxmanだった。
http://www.audio-visual-trivia.com/2006/05/a_place_in_the_sun.html
身分相応の自我とオブセッションとして(痕跡としても)有る野心的な
理想自我との間のギャップを描いているのだが、その前者における女工との
恋の場面では、"Out of Nowhere"が流れている。Heyman=Greenの曲。
しかもラテン・ヴァージョンまであって、クリフトが「変な曲」という
セリフの訳があるのだが、「This is the way it should have been」が
原セリフ(lines)であって、これは「こうなる運命だったんだ」とかの
訳だろう(二人が結ばれることについての)。なんで急に音楽のことを
述べる訳になるんだ? それこそ変なの。




翌日の