網野善彦先生は荘園誌料研究の歴史学者のみならず、澁澤敬三系の、漁業関係の
民俗学者としての側面ももつのだが、千鳥の山本大悟氏の出身の、北木島花崗岩
で有名らしい)について何らか述べていないだろうかとちょっと(ちょっとだけ)
探してみると、北木島はないけど、そのすぐ隣の真鍋島についてならあった。中公
新書化されていたはずだが、『中央公論』での連載時の題名は「古文書返却始末
記」。そこで真鍋島文書が出てくる(連載第11回目)。
北木島の奥野鉄夫氏の文章がウェブで次に読める。
http://www.city.kasaoka.okayama.jp/kasaokaisland/kitagi/nadasibunken.htm

島ということでいえば、私も多大な畏敬の念をもつ村上ショージさんは、北木
島からは遥かに西であるが、大三島の南の大島の出身で、自身に、村上水軍の
末裔との言い伝えがあるらしい。こちらも網野先生は、『日本中世の民衆像』=
岩波新書のp.83などで、その因島や大三島のすぐちかくの弓削島について言及
されている。他にもあろう(追記:p.53-55にもある。他の著については
知らない)。


これらが中央(畿内)のどこ(誰)の荘園になっていたのか、気になる(近畿
中心主義的な見方かもしれないが)。島に限らないのだが、特に芸能・神事に
ついてのそのアプローチのしかたは複数の繊細な意識が必要となるのだが。諸君
にも注意を願いたい。私も自覚する。