1/6での「オール阪神さんの生い話」とは次のとおり。
これは私の補足だが、現在の吉本はサーヴィス産業の大企業だけれど、
オール阪神巨人のデビューしたときは、ある芸人(商品)を販売する
計画を建てたとき、ほぼ、全社支援というかたちになる。阪神さんに
よれば、そのときは、A派閥とB派閥とがあった。前者は阪神巨人を
売り出すことを企画していた。後者は島田紳助竜助を売り出すことを
企画していた。阪神巨人さんは、B派閥のと或る策謀を感じとっていた。
それからかなり時間を経った後に、その策謀の中心人物を特定し、
証拠をかため、連絡をとった。その人物をCとするが、Cさんはじゃあ
料亭に一献をもちましょうということになり、座を囲んだ。
そして真相を迫ったのだが、それは事実だったということだ。ただ
誤解してはならぬのは、派閥があり、策謀があるといっても、それは
必ずしも個人的野心、立身出世の手段としてのみあるわけではないという
こと。社をあげて計画を建てるのだから、それは慎重なものとならざる
をえず、目的はあくまでも社の発展である。それを阻害すると主観された
ものへの対処である。派閥や策謀といってもそれは私利や私怨ではない、
社のなかの公共心から発せられるという要素がある。これを見ねばならない
ということ。Cさんは次のように語ったということだ。紳竜を売り出すために
阪神巨人は邪魔であった。しかしそれを落とすには巧妙な手段に頼った。
仕事を奪うのではなく積極的にどんどんと与える。すると限定されたネタで
もって回転をしつづけねばならず、出詰まりになるだろう。すると徐々に
飽きられてくるだろう。しかしこの手段においては誰が誰を恨むということが
見えない。阪神巨人は頑張り果てた上でいづれ消えてゆくだろう。それを
私は期待した。ところが期待外れだった。君ら(阪神巨人)はその過酷な
ノルマを果たした。消えるどころか逆にとって勁くなった。私はむしろその
ことを素直に喜びたいし君らを讃えたい。結果的には紳竜・阪神巨人双方が
腕をあげ、大きくなったのだから吉本にとっては良かったことだ。ただし
ひとつ苦言を呈したい。君らの漫才は平均点はたえず高い。八十点はある。
しかし百点がない。逆に零点もない。ぼくの君らへの不満はそういう「そこ
そこ」に高得点をとるが、芸人らしい大爆発がないことだ。・・・。
というようなことを今では「良き思い出」として回顧できる阪神さんがいる
ということである。以上、私(金原)のちょっとした修飾も加わっているが
阪神さんのお話はそういうものだったと要約できるのではないか。
この話を聞いて一昨年の木村政雄さんの吉本退社の話を思い出した。あれも
事情は分からぬ仕舞である。私は週刊誌をかなりチェックしたのだが、ほぼ
参考にならず。徐々に、これがはたして「事件」であるのかさえ分からなく
なった。
吉本は酷いところはある。横山やすしを解雇したときなど、真相は(と
私は邪推するのだが)、「もはや漫才は商品にならない」という冷徹な計算
もあったはずである。ところがそんなことはなかったのである。1990年代に
なって漫才は復活したのである。若手からその機運が興ったのだ。これは
おそらく、やすしさん自身の計算違いでもあった。それを見越していれば
もっと体力を温存させていたはず。漫才の機運が起こると、漫才を捨てたはず
西川きよしさんまでもまた漫才をやりはじめた。しかし相手はやすしさん
ではなかった(太平サブロー演ずる、やすし)。吉本はやすしを解雇したのに
やすきよ漫才を復活させて吉本で販売している。こういうあくどいところ
は良くも悪くも吉本的ではある。ただ本当は本物のやすきよで売りたかった
はずである。これは、つまり、おそらく上層部も全然、流れを読めていな
かったということを示すのではないか。(勿論、素人の私も読めていな
かったのだが)。