補足

○中上さんのいう「物語」ね。多重の意味があって分かりにくいんだが、仏教の
縁起ということと関係するのかな?。因縁とか。それがなぜ輪廻とリンクしちゃう
のかというところが、松本史朗さんの、言っては悪いが、生硬な批判と関係して
んのか?。武田泰淳なんかも物理学としての仏教と言っていたが。
○熊野は、本地垂迹の核のような場所で、密教と神道(日本的道教?)とが混淆
していて、でも、やはり形式としては密教が主導的だと思う。新宮の有名なお燈
祭りの火にしても、やはり密教の護摩行(煩悩を焼き尽くす)と関係しているわけ
でしょう。でもアニミズムとして、直覚として、神道的なものとして解釈できる
(しやすい?)ところもある。ただ中上は晩年はやはり仏教主導を認めていた
ように思われる(蛇)。ただこれは逆転しやすいんだが。アンチノミーなのか。
伊勢神道、外宮の優位、反本地垂迹説なんかも基盤となっているのは、やはり
真言密教だということを、末木文美士さんが書いていらしたと思う。ここら
へんも、真言系と、山門・寺門の台密系などと差異があるらしいのだが。修験
道・山伏の世界などと関連して)。
○って、また、生齧りのことを書いてんだが。