中上健次についての私的覚書2

オリエンタリズムっていうのは無理解だったと思う。保田與重郎なんかも
ショービニズムだといわれていたらしい。かれらが自己に率直に、生得的なもの、
素地を明らかにすると、そこに他所の人間からすれば無理解が起こるということ
なんだろうと思う。
(6/19夜に加筆。「郷土ショービニズム」ね)。
○四方田さんも言っていたと思うのだが、中上の文章ではいちいち、決め所が
俳句になっている、すでに。そういうものも、取り立てて狙っているというだけ
でなく、かれにとっては自然なのかもしれない。私は熊野に行ったことがない
ので、そこが分からない。

瀞の手前の橋を渡った。私は車をとめた。その橋からのぞける渓谷と辺りの山は、
熊野でも最も美しい景色の一つだと常から思っていた。京都の整えられた景物の
優雅ではなく、無造作に放り置いたものが一枝一石動かす事も要らない美を
つくる。見ようによってはそれが、熊野の景色の一つであるのに、京都よりも
京都らしい。(『もう一つの国』。『時代が始まり時代が終わる』p.48。原文の
「瀞」は旧字)

空中を浮遊する感覚は那智滝でも起こる。どのくらいの回数、那智滝を見たか
数えられぬほどだが、杉の大木の上にそそり立つ岩壁の高みからしぶきをあげて
落下する滝は、その都度、新しい意味を植えつける。(略)。水のなだれ落ちる
音が一帯にひびき、耳を聾し、そこにいるだけでおのずと、この滝を最初に見た
人が自分のそばにいて畏怖に震える姿が見えてくる。(同前。p.57)

山城のその上よりも京らしき 瀞の紅葉のみやびなるかな
落ち水はそのたびごとに新しき とはのあはひに那智はたたずむ
なんて私が詠うと凡庸になってしまうのだが(マジでひどいな)、巧い人が
やると、さらになんか掘り下げられるでしょう、とぶざまな逃げを打つ。
○引用する。

それよりももっと上に立つ人、つまり天皇、上皇たちは恐ろしいものを見てた
ろうし、あるいは庶民も蟻の熊野詣した庶民ももっと恐ろしいものに身を任せ
ていたんだろうと思うんです、もっと恐ろしいものというのは、言葉にならない
もの、言葉で接近出来ないもの、つまり何処まで行っても壁にぶつかってしまう
ものという。例えば今日出た連句の六句ですね、表の六句ですね。六句そのもの
にあるシンタックス、統覚の秘密みたいなもの、まさにそれがその熊野の本質
だと思うんです。(『中上健次と読む『いのちとかたち』山本健吉著(後)』
p.39)

小説を書きつぎながら、自己の過剰を制御するようにこの物語の系譜を書くこの
私に、熊野はもの狂おしい。熊野では一切が物語である。光が当たっている町並、
それを眼にしているだけでも、物語に発情させられているのだった。喫茶店に
入り、コーヒーを飲む。眼に入るものすべてに物語は絡んでいる。クッションの
効いた椅子、オシボリ、細かいカットの入ったグラス。壁にかかった大きな
ヌード写真。すり硝子の向こうは国道だが、この通路の作り方ですら物語=法・
制度のたまものである。(『物語の系譜』「上田秋成」より)

そんなに濃厚なのかね。羨ましいといえば羨ましいね。いやそんなに呑気なこと
をいうと復讐されるかもしれないが。
○ところで、最近に所収された中上のエッセイ集に、『物語の系譜』はすべて
集められたのだろうか。『国文学』で連載再開されたもの(1983年頃)は本当に
書物になったのだろうか。『物語の系譜』それ自体は最初は『風景の向こうへ』
に所収されているのだが。