スガ秀実編『1968』(作品社・2005年)のp.43。スガ発言。

天皇制を云々する最近の一部の傾向にしても、そもそも、吉本隆明はともかく、
六〇年代初頭にナショナリズムを再評価してニューレフトに一定の影響を
持った人たちのなかには、七〇年の三島の事件を契機に、村上一郎を筆頭に、
天皇制再評価に行くひとがいたわけですから、その反復と言える。

とあるのだが、やはり、村上と三島とは違う。微妙というよりもかなり違う。
村上一郎の「三島由紀夫の政治と行動」(『志気と感傷』に所収)の次の文章。

文化共同体をほんとうに志向するなら、そこに何も天皇というものを価値自体
として据えなくてよいのであって、価値自体が何であるかは、かつて人が神と
いうものをつくり上げるまで模索しつづけたくらいの長く苦しい営為がなくては
解けないのではあるまいか。そうでなしに文化共同体をただちに現実の国家型態
とイコールにおくことは間違いであると思う。わたしは文化共同体というものを
思うなら、現実の国家とまるきり違う位相のもとにそれを考える。
(p.327-328)

だとか

天皇は秩序のみを受け容れる。そうでなくて天皇は存立し得なかったし、今も
またそうである。
(p.330)

など。
「政治概念として」のではなく「文化概念としての」天皇(三島)というものは、
村上のいうここでの「文化共同体」(おそらく権藤成卿の「社稷」という概念に
近いと思われるのだが)とどこまで重なり合うのか。(三島の天皇論は実際には
その「政治概念」を全然払拭していないと思われる)。
また三島は天皇に「変革の原理」を見るのだが、村上はそこには戦中の体験からか、
失望をしか見ていない。既成秩序を受け容れることにおいて天皇(天皇制?)は
存続してきたのではないかという経験による疑義。三島よりも村上の方が、現実の
天皇については冷淡であるように思う。ただ「恋闕」という概念について「浪曼者
の魂魄」(『浪曼者の魂魄』所収)で詳しく論じているので、私にはちょっと
分かりにくい面もある*1

*1:2005.1/24に注2を削除・訂正す。以下にする。"私自身は、皆が一緒では詰まらん、いろんな家が有って良い、程度のことを考えている。森毅が以前「週刊朝日」でそういうことを喋っていた。勿論、それが政治概念に関与する、せざるをえない?ところは私にはよく分からないんだが。"