中上健次についての私的覚書3

○牽強付会と書いたけど、ちょっと再考。中上の物語というときにもっと具象
としては、やはり親族構造の問題がある。「路地」の社会関係においては、
父母がないということなのか?。それは儒教の産物なのか。あるのは、アニ(兄)
・アイヤ(兄者)やイネ(姐・アネ)であり、それらを統御する存在としての、
物語りの主体者のオバ(媼・ウバ・乳母)の存在がある。親が子に呼びかける
ときも、アニやイネと呼ぶ。(ただ『もうひとつの国』ではちょっと「アンチ・
オイディプス」の方向に動きすぎていて、それが母権性の問題とリンクされすぎて
いる。中上によれば日本、あるいは熊野においては父から禁止が与えられるのでは
なく禁忌が母から与えられる。母とはオバということなのか?)。中上にとって
オリュウノオバは、ほとんど紫式部だとか清少納言のような存在だったようだ。
ああいう平安朝の親族構造は専門家に聞かんと分かりにくい。養育は母方の家で
なされるんだっけな。婿入り婚とかいう用語もあるね。
○ただ中国なんかも、最近では、女性に対しては、小姐と呼びかけるんだけどね。
ヴィエトナムなんかも呼称はそういう妹背の世界がある。兄としての英(anh)と
妹としてのem。姐としてのco。恋愛のなかにちょっと近親相姦的な雰囲気はある。
韓国なんかでも女性がオッパ(兄)とかいうのは、どういう関係なのだろうか。
○ぶっちゃけいえば、中上はドゥルーズの影響を受けているらしいから、
北・ツリー・条理空間・父・儒教・仏教に対する、南・リゾーム・平滑空間
アジール)・母・道教・神道などの対はある(ある時期までは)。通俗化・
単純化すればだよ。実際は、かれらはそんなことをいっていないし、そういう
風には二分はできないが、便宜的にいえば。