対馬忠行『トロツキズム』(風媒社・1967→1971年)
対馬さんは『日本資本主義論争史論』(黄土社・1947年)を経由しないと、単なるトロッキスト
というわけではないので誤解されるおそれあり。ずっと1932年テーゼ、戦前のコミンテルン指令に
疑問を持っていて、1956年のスターリン批判、六全協で彼のなかで「腑に落ちた」ところがあった
のだと思われる。そうか、全部、権力闘争の結果にすぎないのか、と。そのひずみが日本に波及
していたのか、と。戦前からのマルキストだから、戦後の新左翼とはちょっと肌合いは違う。この
書物のなかで中共を全然認めていないところを読んでちょっと驚いた。
(私課題:用語として「不均等的発展(あるいは複合的発展)」だとか革命の「一段階」「二段階」
だとか、正直なところ、分かったような分らんような感じである)。


田中清玄+大須賀瑞夫『田中清玄自伝』(文藝春秋・1993年)
:どこまで喋っている内容が本当かはわからないんだが、おもしろい話は多い(市川、朴、平田など*1)。
精神史ということでいっても、胸を打たれるものはある。
児島誉士夫や岸信介を批判するところが、かれの「左翼」性なんだろうか?。
児島も田中と同じ東北の人間のはずだが(児島は田中と違って逆に敗戦後、昭和天皇の退位を主張
したらしい。大宅壮一が書いていた)。
「転向後」であるが、「私はだいたい、戦争(日米戦争のこと)になるとはまったく思わなかった」
と喋っているのは、どういうことであるか。状況分析としてそれは甘かったのではないか。

*1:福本も市川をフーシェとしてみていたらしい。石堂著にあった。