三巨人についてのスケッチ・メモ(間違っていても良い)。失礼な表現は御寛恕を。
○中原さん。おっそろしい柔軟さ?。いろいろあるだろうが(芹沢さんや山田さんに鍛え上げられた
だとか)、『実戦集』(全三巻、初期中原の棋譜を集める)に、中原さんが奨励会時代、振り飛車
だったという記述がある。奨励会時代に居飛車党から振り飛車党に転向する例は多いだろうが、その
逆は相対的に少ないのではなかろうか?。中原さんの飛車使いの上手さ、軽妙さはそういうところに
由縁するんだろうか?。私個人は中原さんに一番、魅了される。いまなお棋譜から潜在性を感じ
させられる。
○谷川さん。ミュータント(mutant)なんだろうか。谷川さんが現れたとき、棋界は一時パニック
になったと思われる。つまり常識が通用しない。棋理に従わないというわけではなかろうが。
どうみても無理なところから仕掛ける。その攻めにはこの受けが大丈夫、という通例が通用しない。
悪くいえば暴力的・直截的である。基本的にしかし谷川さんは谷川流の捌きだということだと思う。
升田さんの強襲は基本的に根拠があった。升田さんの、一般の人には見えない潜在的な「形」への
感覚である。それがあるから強襲できる。そこに我々は感歎させられる。美しさをおぼえる。
谷川さんには一見、無根拠に強襲しているように見える*1。どう見てもそれはきれるだろうと
思う。しかし切れない。細かい線が活き続けていて、結局、寄せきられる。やられている側は
ある意味、ぼっこぼこ。最後までいいところなし。だから誰もが当時、谷川さんを天才と呼ぶ
ことに躊躇しなかった。谷川さんの棋譜には実戦例として詰め将棋の手順が実際に現れる。これは
谷川さんだけに見えていたのだった。中盤からも仕掛ける。そして自分に優勢な形を決め込む。
ほんとは切れ筋になって相手玉は逃げ切れるはずなのに。しかしそれができない(失敗する例も
あるようだが)。谷川さんは将棋を変えて(破壊して)しまった*2。なのにその衣鉢を継ぐ棋士が
かならずしも現れているわけではないようなのは、結局、谷川流は谷川さんにしかできないのか
(郷田さんはそれに近いものがあったのだろうか)。
○羽生さん。谷川さんの羽生評にあった。”将棋は勿論強いが、しかし勝負そのものに強い”。
これに尽きているかもしれない。基本的にひるまない。心根が強い。自分が一番怖いときは相手も
それ以上に怖いのだと悟っている*3。危所において最も相手の嫌がる手を指す。基本的には粘り・
受けの棋風だと思うんだが。不利なときでもまづ諦めない。微差でついてゆく。最後に逆転する。
そういう、相手にとって悩ましい手を指す、ある意味、いやらしい点はある。勝負の天才性を通して
将棋観・棋理考が成立していると思われる。「勝ちたい、強くなりたい」という欲と「棋理を
明らかにしたい」という欲は両立しながら細かい分岐もあるらしい。将棋はこのふたつが複雑に
絡み合っているところに本質があるらしい。現在なお羽生さんは棋界最強の棋士だけれども、
ポスト羽生世代がもし台頭したときに、羽生世代の将棋がどう変わるのか(どう追い込まれるのか)
に私も興味をもつ。


2005年1/18に追記。
羽生さんの偉大さをあまりに低く見ている。羽生さんの構想力。

*1:ここはちょっと辻褄が合わないことを書いているな。あたかも升田さんが谷川さんよりも弱いという風に読めてしまうな。私の失敗だ。

*2:谷川さんが寺院の息子さんだと聞いていたのだが、私はながらく禅宗なのだろうと勘違いしていたが、谷川さんのところは真宗らしい。意外に思ったことがある。

*3:勿論、将棋は単にブラフが通るわけではない。受ける必要のあるところは受けねばならない。その按配が異常なまでに難しい。羽生さんはその按配・バランスがまさに絶妙である。ここは勝負だけでない、将棋の天才性ではある。