内田樹先生の今日の日記から。目に鱗。長くなるが。

一方、日本の戦後マンガのヒーローものの説話的定型は「生来ひよわな少年」が、ものの
はずみで「恐るべき破壊力をもったモビルスーツ状のメカ」の「操縦」を委ねられ、「無垢な
魂を持った少年」だけが操作できるこの破壊装置の「善用」によって、とりあえず極東の
一部に地域限定的な平和をもたらしている、というものである。(改行)これは『魔神
ガロン』から『鉄人28号』、『ガンダム』、『デビルマン』、『マジンガーZ』を経て
エヴァンゲリオン』に至る「ヒーローマンガの王道」である。(改行)この「恐るべき
破壊力をもったモビルスーツ状のメカ」は日米安保条約によって駐留する在日米軍であり、
それを「文民統制」している「無垢な少年」こそ日本のセルフイメージに他ならない。
(改行)1950年代の日本のメンタリティをもっともみごとに映し出している『鉄人28
号』において、「鉄人」は米軍(および創設されたばかりの自衛隊)を表している。だと
すれば、その操縦を委ねられる「戦後生まれで、侵略戦争に荷担した経験をもたない無垢な
正太郎少年」は、論理の経済からして、「憲法第九条」の表象以外にはありえないのである。

そうだったのか・・・。