升田さんの自叙伝「名人に香車を引いた男」は中公文庫になっているんだ。
あと二冊ほども中公文庫になっているらしい。知らなかった。一気呵成に読んだ。
阪田三吉さんが暗に升田さんに自身の思いを依託していたというところ(p.147、151)は
おそらく本当なのだろう。衝撃的な記述だった。また大野振り飛車のもとネタは阪田
将棋にあるという指摘も(p.148)。


あと

初段、二段のころは猪突猛進で、<ためる>というすべを知らない。ためるとは、
間をとるとか、緩急をはかる、という意味です。(p.101)

この「ためる」とは私の解釈では、手待ちではなく、手作りの工作段階ということだと
思う。それ自体はぼんやりしているが、徐々に構想が見えてくる。こういう手を素人の
我々は指しにくい。素人将棋とは臆病の、ひるんだ将棋である。それは攻めとしても受け
としても現れる。結果、指し切れになるか、猛烈な反撃を受けることになる。直截的
すぎるから。すぐ効果を求める手ばかり指すから。ためないものだから、そうなる。
なぜためる勇気がないのか。ためているうちに相手の指し手によって局面の文脈が
変わってしまって、その間にためた数手が無駄になってしまう、ことを恐怖しているから。
手損になると。しかしプロの「ため」は決して緩手になるどころか、確実に後に活きて
くる。それはつまり構想力の問題なのだろう。構想力、デザイン、これは中盤だけでなく
終盤でもそうだけど。まあ、素人はまず終盤の寄せの構想力を鍛えることがそもそも
肝要なのだろうな。(しかし局面の意味、文脈とは、そもそもどう考えればいいのか。
つまり形勢判断ということか)。
勿論、この解釈は曲解かもしれない。駒の組み替えのことを言及なさっているのだろう
と解釈するのが妥当かもしれない。