木村義雄『将棋一代』(日本図書センター・2004年)

同じ棋譜でも見る人によって、齎らす功徳には霄壤の差がある。
(p.187)

ほんと、棋譜はテクストであって、棋力に応じてまったく読み方やテクストの
意味が変わってくる。不思議だよなあ。だから私のような下衆(げす)が羽生
さんの将棋観について云々することがおかしいんだが。
最近はわりと簡単なことを考えていて、思いつくままに箇条書きにすると、
1:攻撃とは、拠点を作って、ガジガジと駒をはがしてゆくこと。攻撃駒と守備駒の
交換は守備側にとって手損になってゆくから。だからどこかで「攻めるが守るなり」
で刺し違えに出なければいけないんだけど(劣勢側は)、そのときの形勢判断
(象棋では「審勢」というらしい)はどうなるのか。
2:中盤から終盤にかけて、どこかで、盤面や局面が、両対局者の意思から離脱する
ときがあるらしい。オートノミーの段階・領域に入る。それはすでに優劣がついて
しまっている証拠らしい。そうなると、押しても引いても、どう捌いても、逆転の
余地はない(勿論、ポカで逆転することはある)。そうなると、その自動性・自律性
の推移に従うべきらしく(優勢側は)、その静かな収束を待てばいいだけらしい。
だからそのオートノミーに入る前に、なんとか、せねばならない(劣勢側は)。
3:寄せの基本は挟撃。
4:反発の少ないかたちでの寄せの構想とは?。
5:手順の妙味。同じ演算でも、手順が違えば、その都度の状況がすでに変化して
いるから、違う変化になる。上手(じょうず)はその手順に細心の注意を払う。
6:いかに作戦勝ちをするか。
7:いかに適確に寄せるか。


やっぱ、羽生さんは中盤の構想力がダントツだわ。どのように収束させるのか、
どういう局面になってゆくのかという。そこの予知というのか経験則というのか、
それが凄すぎる。なんか、会得してしまっているんだな、将棋の本質に近いものを。