また早漏野郎といわれるかもしれないが、最近はちょっとベタなことを考えている。
つまり、平泉・網野のアジール論と、美濃部・原の公法論とのドッキング(直結)。
日本における「公」とは何なんだろうか、と。私らは、かつてとちがって国営化
ではなく、私営化・privatizationの時代に立ち会ってしまったわけで、以前とは
逆の文脈のなかで、公私とは何なんだろうかと問うことになる。しかし方向は逆
でも、問われる対象の性格は同じだろう。