2004-12-13 ■ 村上一郎 また早漏野郎といわれるかもしれないが、最近はちょっとベタなことを考えている。 つまり、平泉・網野のアジール論と、美濃部・原の公法論とのドッキング(直結)。 日本における「公」とは何なんだろうか、と。私らは、かつてとちがって国営化 ではなく、私営化・privatizationの時代に立ち会ってしまったわけで、以前とは 逆の文脈のなかで、公私とは何なんだろうかと問うことになる。しかし方向は逆 でも、問われる対象の性格は同じだろう。