(私の)印象に残っている羽生言及を引用してみよう。

「最善手を構築する手段はあるわけですが、羽生さんとはその思考方法が違う
ような気がします。結論は結局同じになるかもしれませんが、それにたどり着く
プロセスがどうも違う。チェスをやってよく分かりました。自分にとって一番
謎めいた部分が多い人です」
(「将棋世界」2003年3月号。p.82。佐藤康光さんへの松本治人さんによる
インタヴュー)。

羽生とは修行時代を含めて三回指した。最初から最後まですべてを読み切って
いるような凄味は感じさせない。それでも、三回目に指した公式戦では、勝負所で
スッと指され、ドキリとさせられた。指された瞬間は何をと思ったものの、読めば
読むほど対策がたてられなかった。うまい受けがなかった。(改行)将棋の
つくり方、作戦面でとくに工夫しているようにも見えない。それでいて結構、
局面の先の先で辻褄があってくる棋風だった。羽生にも死角はあるはずで、対局中に
おぼろげに感じられはしたのだが、けっきょく突きとめられなかった。新しいタイプの
勝負師である。
(羽生さんの師匠の二上達也さんの「棋士」=晶文社・2004年のp.195)。

あと羽生さん本人の発言。
保坂さんは「流れの上の最善手」として羽生さんが将棋と音楽との類似性、
作者から独立した対象自身の自律性についての言及をされているのだが(「羽生」
p.48-52)、それもあるとしながらも*1別のことについても羽生さん自身は述べ
られている。

私自身、将棋を指すようになってから学んだプロセスがあります。それは初めに
最終的な結末を決めてしまい、それにたどり着くまでの道筋を考えるやり方です。
(改行)いま現在の局面をもとに、最後の場面を想定する。「最終的にはきっと
こうなっているに違いない」というかたちをまず決めてしまい、それから「
どのようにつなぎ合わせていけば、現在の局面と結論との間に橋を架けることが
できるだろうか」と考えるようにしています。
(「挑戦する勇気」=朝日新聞社・2002年のp.92)

これは結果から逆算することがないとする保坂さんの定義と外れてくる面である。
この著は小中学生などへの講演なのだが、講演後の質疑応答のなかで「好きな駒は
何か」と問われて、羽生さんは「銀」だとしている*2。私はちょっと意外に思った。
これも羽生論のひとつのポイントになるかもしれない。

*1:「一方で、現在の局面にいたるまでの過去の展開、筋道を考慮して、次の一手をどうするのが自然か、どう指すと一貫性があるかを考えるときもあります。将棋にも、一つの流れ、テンポがあります。その流れの中で次の一手が生み出されていくものだと思います。(改行)たとえば音楽でも・・(以下略)」。ibidのp.94。

*2:「攻めにも守りにもよく使える駒ですし、実際にもやはり「銀」を使っていることが非常に多いです」=ibid。p.122。