○将棋の羽生さんが最近現代風の眼鏡にしたのでお節介ながら、ほっとしたという
ことを書こうか書くまいかとしていたらば、中島らも死去の報道をうける。
やはり絶句する。勿論、前史はあるだろうが、前々からいつ死んでもおかしくない
ような生活はしているだろうが、しかしあまりにあっけない。最近、皆、あっけない。
執着がない。生死が淡い化している。境目がなくなりつつあることが、たしかに
ポストモダン的だ。こんなことをいうと死者への冒涜かな。しかしこれは辛い。
「棺桶につきそひたるは觀畫談不思議なる人静かに去りぬ」とは相米さんのことを
詠ったものとも思えなくもない。ディレクターズカンパニーを潰した張本人といわれる
人だから静かに逝去したわけではないのだが、NHKの朗読企画でたしか森敦さんの「月山」
を相米さんが監督。きちんと見ていないけど、生死の境を越えているところはあった
と思われる。でも静かに去りすぎる。そういえば『この人を見よ』未完(『海燕』だったか)
後藤明生さんも静かに逝去したような気配を受ける。しかし中島らもは他の人も同様だろう
が、私にとっても遠くからだが、かけがえのない人でして。まだもう一度、爆発があるんじゃ
ないかと(かすかな)期待や予感をさせながら、不発のまま、亡くなられてしまった。悼み
たくない。悔しい。私にとっては村上春樹よりも柄谷行人よりも中島らもに(かつての)神戸
の可能性を感じていた。ついに潰えた。