ユリイカ今号「はっぴいえんど」特集*1増田聡氏「日本語ロック論争問題系」から。

このこと(引用者:内田裕也が日本語でハードロックをやるグループの助力をしていること)
は、はっぴいえんどと内田の対立点が、日本語詞か英語詞かにあったのではないことを如実に
示す。むしろ「ハードにシャウトされる日本語詞」に関心をもたないはっぴいえんどの作品が
「日本のロック」の正統性を獲得し、自らのコミットするニューロック的な方向性とそれが
担う理念が潰えることを、内田は懸念するのだ。すなわち、フォーク的な音楽性が「ロック」
にためらいなく挿入され、対抗文化的な契機が無化されてしまうこと。彼の予感は当たった、
と言えなくもない。(p.166-167)

ちょっと分かりにくい面もあるが、まあ、そういう。近田春夫が「考へるヒット」のどこかで
日本語ロック論争については断固として内田の側につくと書いていたこともそれと関係するの
だろう。
しかし一方、全体に私はよく知らないのだが(資料について)、中島らもが次のように
書いていることも想起したりもする。中島らものバンド活動(ネットで音盤は販売されていたと
思う)については知らないで引用するんだけど。

それ(引用者:芦屋川上流の野外コンサート会場)に僕らの大嫌いな「フラワー・トラベリン・
バンド」が出ていて、これは皆で行って「つぶし」をかけようということになった。(改行)
このバンドは、当時としては唯一海外で評価を受けたグループだったが、ラーガと雅楽を混ぜた
ような変テコなリフレーンで、いかにも外人に受けそうなまがいもののオリエンタリズム
売っていた。バシッとしたロックンロールが好きだった僕には、そんな手は「卑怯」に見えた。
(『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』=PHP研究所。p.171)

もち、中島の主観に過ぎないのかもしれないんだが。
桑名正博さんの原点回帰としてのthe XXXの1stだけ聴いたことあるけど、R&B的中年性がちょっと
入りすぎていて、もうちっとハードの瞬発力があってくれたら良かったのにと思ったことがあった。
あとローカルFMで、円広志の昔、1970年代前半にやっていた、前衛的なソウル系の歌声を聴いたこと
あるけど、かっこよかった。いまのコメディアンのそれとの落差に驚きもする。

*1:不満といえば、大瀧さんと細野さんとの差異についての言及が無かったように思われ。細野さんは初期ロックの淵源の、ビッグバンドのスウィングからブギウギの流れを直視するが、大瀧さんはあえて遮断する。大瀧さんの特質かもしれないが、こういう極度の関心の限定。これはなぜなのか。また初期ロックと後期の、ブリティッシュ・ハードロックとの違いとは何なのかという規定。