おもしろく、ためになるページ。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/index.html
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/mapsuv200/200nin/200nin.htm
近代行政・近代軍事にとって、いかに、作図(製図)・測量が大事であるか。
逆にいえば、それだけの権力装置であるわけだが。
現地戦術で、地形偵察・地形概観をおこなうとき、それが未測量・測量不足の
場合(対象)もあると思う。そういうときはその場で測量するんだったっけ。
村上一郎さんも例えば「五万分の一(できれば二万五千分の一)の地図によって
地形地物を頭に描いてから現地を見るなり行ったことのある人の話を聴くこと
(地図はなるべく漢字を右書にした郡県地図<陸地測量部作成>がよい)、」
などと書いてらした(「土方歳三の兵法」。他にもあったと思う)。
(近頃、野口武彦さんが、『新撰組の遠景』連載最終回で、村上のその土方論を
紹介したときに、村上一郎さんについて「しかし一方には、主計大尉に付いて
回る不可欠のリアリズムがあって、」と書いていらした。我々が村上から受ける
魅力とは、その練り込まれた文章とともに、この「主計大尉のリアリズム」に
あるのだと思う。蛇足言:でもフェティシズムかしら)。


あー、ネタがない。そういや、図書館から、桐原光明さんの鴎外論を借りて
いたんだけど、要するに、鴎外と山縣有朋との密接な関係ね。ある意味では、
鴎外は、明治初期の啓蒙主義者の絶対主義的傾向(服部之総)を継承している
ところが強い(西周系でか)。対比される漱石とは、たしかに、そこは違う
わね。鴎外のresignation(諦念)は、かれの軍事行政・官僚社会のなかの、
そこには他に一般的なものと、かれ独自のものがあるのであって、桐原さんに
よると、むしろ不平不満を内に渦巻かせていたものの裏返しであるという
ような指摘がある。
ところで、山縣有朋の依頼による、鴎外の社会政策論において、鴎外はひとつの
定見をもっていたのだが、そこに次のようなものがある。
桐原著p.182-183より孫引き。賀古宛書簡(1920年1月)。

帝室ヲ保存シテ(四字削除)ヲ行フ。其方法ハ法律ヲ以テ企業株ヲ二種ニ分ケ
サセル。甲ハ現在ノ通リニスル。乙ハ小株ニシテ売買ヲ許サズ、之ヲ労働者ニ
持タセル。ソシテ段々ニ労働者ヲ資本家仲間ニ入レテ行ク。旧資本家ハ段々
衰ヘテ死ニ絶エサセル。貴族ハ段々特権ヲ取リ上ゲル。ソシテ帝室ダケヲ
保存スル。人民ガ直接ニ皇室ノ藩屏ニナル。僕(鴎外)ハ只帝室保存ノ社会策
ニハ賛成ダトダケ云ツテ置イタ。

(フォントのないところは間に合わせ。四字削除のところは「社会主義」か?。
佐野学などの「転向後」の社会主義観もそれに近い、か?)。
ここにも、井上毅などに始まり、三島(私は『防衛論』をいまだに未読)、
中上などにも続く、日本の究極的な自己同一性は、万世一系皇統より他はなし
の志向が見られる。
(中上は晩年の、ビートたけしとの対談で、日本はどんどんと開放的になり
外国と混血化するし、なるべきだが、しかし皇統だけは「純血で」あって
欲しいなどの、かなり問題発言をしている。かれにとっては、皇室が「平民」
に溶解して「民主化」がされることには、危機意識をもっていたらしい)。


よって、日本の共和主義者は、伊藤博文井上毅などと法制的な対話をせねば
ならない(伊藤や井上は、元田永孚などに比較すれば、遥かに進歩的だったと
言われるのだが)。
飛鳥井雅道氏『明治大帝』の図式を借りて変改すると、伊藤・井上・西園寺などの
系と、元田や山縣・桂などの系があるわけだが(天皇機関説と超法規的天皇)、
それが「昭和の軍閥」(新・軍閥)時代にどう繋がるのか。また鴎外はなぜ
そこまで山縣に従わざるをえなかったのか、他の研究書もあたりたいね。