迷惑

コンビニなどで今日から、エロ本などをシール封印するという。昨夜に確かめた。
ええ迷惑やがな。青少年のためなんていう戯言の言い訳はよせよな。煙草自販機
の深夜販売休止もそうだが、なんで、一部の阿呆の「青少年」のために大部分の
大人が犠牲にならにゃあならんのだ*1。若者もそういう大人の迎合は迷惑に感じる
し、なんだ、結局、誰もが不幸ということではないか。
要するに本音は、社会の品格を汚すということだろ。でもな、後進国からすると
ポルノが横行するのは文明だとか自由の象徴でもあるんだよ。こういう贅沢病
(先進国の)はそれこそ差別的だな。肥え太った人間しかダイエットはできない
ものな。
またカウンターカルチャーが行き過ぎ、誤解の面があったにせよ、しかしその
「反抗」に単なる幼児性しかみない清算主義*2は、成熟というものを取り違えて
いるとしか思えない。一部の世代の常の自己中心主義も困ったもんだね。
かれらはつねにヴァーチャルなものを実体だと捉えちがえる。社会は常に不可
透過だっつうの。
規律社会から管理社会への移行は不可避であって、規律社会に戻して信頼という
ものを回復するという復古主義はほんと、どこまで現実的なのだろうか。
ポストモダニズムのある面においては私は肯定する。非常に違和感をおぼえて
最終的にそこに屈したがゆえに。今の反動はなんだ、そういう抵抗なしに従って
いた人間が、あるタイムラグに乗じて、目を覚ましたつもりになっている
だけではないか。危険な機会主義である。
(大人の威厳(禁欲)が必要である、と。しかしなんだ、受動性の現実性は認め
られねばならない。理想論の悟性だけの議論が危険なんだよ)。
私はここ十余年ほど、ポルノ静画の表象と記号の形態の変遷について私的に
「研究」しているのだが(いや単なるズリネタにすぎないが)、これからは
なんじゃ、品調べ(立ち読み)なしに、気合で買えというわけか。不便なことに
なったな。
(これは言論の自由を主張しているのではない。言論の自由なるものは、民主主義
下において臣民に対する意志の公表の、主権によって強制されたものを言い換えた
ものにすぎないと私は考える)。
フェミニズムの問題をここではネグレクトしている。私は正直、それについては
よくわからない。正解もないと思う)。
(人はいつから、記号性を意味解釈で貶めることになったのか。このことが
堕落である。大衆の卑俗化、あるいは大衆の発話の行政言語化と関係している。
漫画批評などにそれをよく感じる。漫画を論じるならば、まづ、線描を問題に
しなければならない。線描が成功すれば漫画は九割がた成功している。しかし
批評家は他の意味解釈論ばかりを問題にしている。ここにすでに漫画家との対話が
成立しない。ポルノ漫画論はまづ線描の問題から論じられねばならない)。

*1:内田先生からすれば、こういう不条理な犠牲の積極的な引き受けなくして共同性がたちあがることはないということになるんだろうが。

*2:懺悔主義。内田樹氏のような。?。しかし全体的に妄想的な文章になってしまった。内田氏がそういうことを主張しているわけでは当然にないし、粗雑に検証ぬきに私がレッテル貼りをしたり集団のなかに対象を入れてしまうということは良くないことではある。高橋源のポルノコミック擁護論を氏はどこだったかで引用されていた。今の言説群の隠れた支柱となっているような人について肯定的であれ否定的であれうまく言及することはそもそも難しい。