余談。今週の『週刊朝日』に矢作俊彦氏がチェス棋士のボビー・フィッシャー氏について寄稿
している。

日本ではちょっとわかりにくいけど、ヨーロッパではチェスの棋士といえば文化人。

はあ。そんなもんすか。初めて知った。それに比すると日本では、囲碁の方が将棋よりも
典雅・風流に近いものとされていて、表象物としても、将棋の方では、リビドー処理に
少々問題があるんじゃないかという扱われ方をしていて、ちょっと、泥臭く描かれている
ことが多い。将棋の問題なのか。どういうことなんだろう(将棋の方が「セクハラ度」は強い
んだろうか。偏見と中傷か)。
G=Dは、『千のリビドープラトー*1』で、囲碁をチェスよりも高く評価していて自己批判
なのだろうが、しかし日本の将棋は、獲り駒を任意の場所に打ち込めるという、特殊ルールを
持っている(その特殊ルールのおかげで詰将棋というものがある)わけで、そう単純にはチェス
一般とは比較できないところもある(?)。二者の間の均衡性がより際立つことになっている
(寄せに失敗すると寄せられる)*2。そのかわり、羽生さんの言葉によれば(柳瀬尚紀氏との対談書)、
チェスや象棋に比較すると、個々の駒の力は弱く設計されている。


11/30に追記。
のち、羽生さんがフィッシャーの救援運動をしていることを知った。

*1:うっぎゃー。なんちゅう失錯じゃあ。

*2:それだけではなく、任意の場所に打ち込めるということは、盤上に新しい駒が参入することによって、突如、盤面の「ルール」が変更することがありえる。打ち筋打たれ筋を見落とすと、途端に一発逆転ということもある。